光明寺の石造九重塔
『九州の石塔』(昭和49年2月多田隈豊秋著、県教育委員会刊)の中にも取り上げられ、その中で「均整と重厚を感じさせる。全体的な総合美を持つ九州地方作の代表として力強い好塔」と述べられるほどりっぱな石塔が、市内にあるのをご存じですか。それが光明寺にある「石造九重塔」です。
「石造九重塔」は境内に2基あり、いずれも高さ3.3メートル、軸の部分の太さは49センチ×47センチ、軸部から大きさが違う笠が9枚、層状に広がっています。
東側に立っている塔は鎌倉時代につくられたとみられています。最上部の層の軸部4面に「ア アーアンアク」という古代インドの文字が刻み込まれていて、これは大日如来を中心にした仏教の教えを表しているといわれているものです。
西側の塔には「維昔時安元年中小松内大臣平重盛、所建立九重塔二基叡興山地、往年蒙国主命而天保年間、其一宇移干柳原之園而後、命山主成這一基塔再建焉者也」という文字が刻まれています。「嘉永二年己酉年二月吉辰」の日付もみられることから、実はこの塔は嘉永2年(1849年)に複製されたものであることがわかります。文中の「国主」とは第9代久留米藩主・有馬頼徳のことです。彼は石造美術品などの収集にとても熱心で、西塔を寺から持ち出し、別荘である柳原園へ移したと伝えられています。なぜ複製塔が建てられたのか―。これはいまだに謎のようです。
(昭和36年10月21日県指定文化財:広報ちくご(平成12年2月号)から)