井上三綱と桑鶴納骨堂壁画
桑鶴区納骨堂壁画「天女と手漉和紙作りの図」(昭和37年作)。 壁画の老朽化が激しくかなり見にくくなってきています。 |
井上三綱画伯 (撮影:片山摂三) |
郷土の画家といえば青木繁、坂本繁二郎、そして忘れてならないのが、筑後市出身の世界的な洋画家・井上三綱。
彼は明治32年、溝口かまど神社の神官を代々務める家に生まれ、現・福岡教育大学を卒業した後約2年間、現・古川小学校で教員生活を送り、画家をめざして大正10年、横浜市へと住まいを移しました。大正12年から坂本繁二郎について絵を学び、昭和3年「牛」で帝展初入選。その後7回の入選を果たし注目を集めるようになりました。彼の絵はニューヨーク・ブルックリン展(昭和30年)アメリカ巡回展(同32年)欧州巡回展(同33年)など数多くの海外作品展にも出品されて数え切れないほどの賞を受賞していて、海外にはたくさんの熱烈なコレクターがいるとのことです。
溝口に住み、教鞭(きょうべん)をとっていたころの三綱は、屈託のない性格から尊敬と親しみを込めて「みつなさん」と呼ばれていました。当時絵を習ったという横溝利三郎さん(桑鶴)はこう話しています。「アサガオの絵を描いて見てもらった時『花びらの巻きが違とる。逆ぞ』と教えられた。よく見ると左巻きになっていて自分の絵は右巻き。それから絵が好きになった」と。教育者としての信頼も厚かったといいます。
上京後もたびたび溝口へ帰省し、昭和56年に小田原市の自宅でその生涯を閉じた井上三綱。彼の作品の多くは今や画集などでしかお目にかかれませんが、溝口地区には彼の未発表作品がもしかすると残っているかもしれません。そこで今回、お宝のひとつを紹介。それが桑鶴区納骨堂の内壁に描かれている『天女と手漉(てすき)和紙作りの図』です。
(広報ちくご(平成13年2月号)から)
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所在地:筑後市大字溝口1012