欠塚古墳
古墳公園の頂上に復元された石室 |
今も残る石室の一部に使われていた石板 |
筑後地方には、岩戸山古墳や石人山古墳など、大和朝廷に対して乱を起こした筑紫君磐井(ちくしのきみいわい)に関係する古墳が、数多く残されています。市内前津地区にある「欠塚古墳」もその一つ。昭和30年ごろに一度、そして平成元年に再び調査を行った結果、この古墳も磐井と密接な関係にあることがわかりました。
平成の調査当時「欠塚古墳」は、古墳全体を覆う墳丘や、石室を形作る石のほとんどが取り去られ、無残な状態でした。しかし、昭和の調査時には、崩れてはいたものの石室はまだ残されていて、その報告書には石室の「壁面や床面は朱で彩られていた」と記されています。また石室内からは、ガラス玉や円筒埴輪(えんとうはにわ)、須恵器(すえき)などが多数出土し、これらの出土品からこの古墳が造られたのは5世紀後半あたりではないかということが分かりました。外形は、平成の調査によって、後円部に比べ前方部が短いという特徴をもった前方後円墳であることが明らかになり、家の屋根よりも高かったという地元の人の話から、小型ながら上に伸びた古墳だったのではないかと考えられています。また、さらに詳しい調査で、右側前方部に「造り出し」と呼ばれる張り出し部分が見つかりました。「造り出し」は、主に近畿地方の古墳に多く見られ、祭祀などが行われていた場所ではないかとされています。「造り出し」は、この地域では「石人山古墳」にしかないことから、磐井との強い関連性がうかがえます。古墳が小型であることや、古代の勢力関係などから、この地域を守っていた、磐井配下の豪族の墓ではないかと考えられています。
(出典:筑後市史第一巻、欠塚古墳=市文化財調査報告書第8集)
- 所在地:(前津地区)