滑石経(かつせききょう)
滑石経(↑経文が表と裏にびっしりと刻まれています) (昭和30年県有形文化財考古資料指定) |
県の重要文化財に指定され、平安時代の仏教文化を現代に伝える貴重な石板の一部が、市郷土資料館にあることを知っていますか。その石は「滑石経」と呼ばれ、同資料館には大小3つの破片が保存されています。滑石とは、俗にオンジャク石と呼ばれる石のことで、その白くやわらかい石の両面には、約1.5センチ幅の罫線に沿って法華経の経文が規則正しく刻まれています。
「滑石経」が発見されたのは、今から150年ほど前の江戸時代後期のこと。当時書かれた本『筑後将士軍談』の中に「若菜八幡宮境内から、かめ形に組み合わされ、表裏に文字が刻まれた『滑石経』が出土した」と記されています。また、いっしょに出土した塔形の神仏体に「仁平3年」(1153年)という文字があったことから、平安時代後期のものだと考えられています。
言い伝えによれば、発見された「滑石経」は、地元の庄屋に祭られ、周辺から多くの参拝者が訪れたということです。しかしあまりに参拝者が多くなったため、有馬藩が「滑石経」の参拝を禁止。仕方なく元のところに埋め戻そうとしましたが、かめ形にうまく組み立てられず、素焼きのつぼに入れて埋めたということです。その後時が経つにつれて露出し、その大部分は失われてしまいましたが、かろうじて残った数片が、その面影を現在に伝えています。全国でも数ヵ所の出土例しかない「滑石経」は、平安時代の「筑後」を知る上で貴重な「遺産」の一つだと言えるでしょう。
出典 : 筑後市史第二巻、筑後郷土史研究会誌
- 所在地:市郷土資料館 所蔵