沿革
更新日 2019年06月14日
昭和40年 4月 | 政令の指定により、消防本部・消防署設置、定員23名(実員17名、内1名事務吏員)ポンプ自動車1台配置し、市公民館の一部を仮庁舎として発足 |
昭和41年 3月 | 消防庁舎完成、仮庁舎より移転 |
昭和41年 4月 | 職員7名採用、定員23名に充足 |
昭和41年10月 | 水槽付き消防ポンプ自動車1台を購入配置 |
昭和44年 7月 | 職員6名を採用、定員29名に充足 |
昭和44年 9月 | 政令の指定により救急業務開始、救急車1台配置 |
昭和44年12月 | 火災出動途上職員1名殉職、筑後市消防葬執行 |
昭和48年 6月 | 消防職員3名採用、定員32名に充足 |
昭和48年11月 | 九州自動車道鳥栖・南関開通に伴い、日本道路公団より救急車1台の寄贈を受けて、高速道路の救急業務開始 |
昭和49年 1月 | 消防本部に課制設置(総務・警防の2課) |
昭和49年 4月 | 職員3名を採用、35名に充足 |
昭和50年 9月 | 国際ライオンズクラブ筑後部会より広報車寄贈 |
昭和51年12月 | 国際ライオンズクラブよりバイク(70cc)2台寄贈 |
昭和52年 6月 | 潜水救助器具を購入し水難救助業務の強化を図る |
昭和54年 7月 | 福岡県共済農業協同組合連合会より、救急車1台寄贈 |
昭和54年10月 | 高圧ガス(圧縮空気)容器充填室を増築 |
昭和55年 3月 | 山之内製薬(株)より救急車1台寄贈 |
昭和55年 8月 | 石橋工業よりバイク(50cc)1台寄贈 |
昭和56年 4月 | 筑後電工より救助工作車寄贈 |
昭和57年 2月 | 福岡県防災行政無線開局 |
昭和57年 3月 | 消防署・車庫51平方メートル増築 |
昭和57年11月 | 無線サイレン制御装置設置(西牟田、船小屋、馬間田) |
昭和58年 3月 | 消防救急通信指令システム設置 |
昭和58年 5月 | 消防本部に次長制設置 |
昭和60年 7月 | 無線サイレン制御装置子局1基増設(井田) |
昭和62年 2月 | 無線サイレン制御装置子局1基増設(久恵) |
昭和62年 3月 | 非常用自家発電設備設置 |
昭和62年12月 | 福岡県共済農業協同組合連合会より、救急車1台寄贈 |
平成元年10月 | 福岡県共済農業協同組合連合会より、救急車1台寄贈 |
平成 4年 4月 | 消防職員2名採用、37名に充足 |
平成 4年11月 | 救助工作車(2型)及び救助資器材購入配置 |
平成 5年 3月 | 消防職員定数条例改正、45名となる |
平成 5年 3月 | 消防訓練場用地(1,470平方メートル)購入取得 |
平成 5年 7月 | 財団法人日本防火協会より防火広報車寄贈 |
平成 5年 9月 | 水槽付消防ポンプ自動車を購入配置 |
平成 5年10月 | 消防職員3名を採用、40名に充足 |
平成 6年 3月 | 消防訓練場造成工事竣工 |
平成 6年 4月 | 消防職員2名を採用、42名に充足 |
平成 7年 3月 | はしご付消防ポンプ自動車購入配置 |
平成 7年 3月 | 署待機室増築及び車庫改築 |
平成 7年 4月 | 消防職員3名を採用、45名に充足 |
平成 7年 4月 | 消防本部組織規則を改正、3課6係設置 |
平成 8年 1月 | 福岡県共済農業協同組合連合会より、救急車1台寄贈 |
平成 9年 2月 | 消防通信指令室増築 |
平成10年 3月 | 消防緊急通信指令装置更新 |
平成12年 7月 | 消防ポンプ自動車(CD-1型)更新 |
平成12年 7月 | 高規格救急自動車購入配置 |
平成14年 7月 | 消防本部庁舎改修工事 |
平成17年7月 | 潜水訓練中職員1名殉職、筑後市消防葬執行 (10月) |
平成17年10月 | 高規格救急自動車購入配置 |
平成21年3月 | 消防庁長官表彰、表彰旗受章 |
平成22年3月 | 高規格救急自動車1台購入配置 |
平成22年9月 | 救助工作車(2型)更新。救助資機材購入配置 |
平成23年3月 | 水槽付消防ポンプ自動車(水-2型)更新 |
平成23年3月 | 消防庁舎耐震補強工事 |
平成25年4月 | 職員定数を2名増員 |
平成30年11月 | はしご自動車(30m級)更新 |
平成31年3月 | 高規格救急自動車1台更新 |
平成31年4月 |
職員定数を2名増員 |