ブックタイトル筑後市市勢要覧

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概要

筑後市市勢要覧

癒しの心を育てる(船小屋温泉郷・川の駅船小屋「恋ぼたる」)泉質は含鉄炭酸泉古くから人々に愛される矢部川河畔の温泉郷「船小屋」温泉郷となっています。6件の温泉宿・ホテルがあるることになりました。現在、「船小屋」の名を全国に広め地療養所に指定されるなど日露戦争中は陸軍指定の転広まり入浴客が急増。また、船小屋鉱泉の効能は次第にる炭酸水と認められました。後、県衛生課にも天下稀に見た炭酸泉であることを発見します。その鉱泉を試飲。兵庫県有馬温泉の泉質と似明治期に入り、郡長であった阿川光裕がが軒を並べるまでではありませんでした。て利用されていたようで、温泉旅籠(旅館)の大庄屋組によって掘られました。薬泉とし船小屋の温泉井の掘削は文政7年。当時開湯は文政7年(1824)の通過地にとどまっていたようです。藩政期の船小屋は、柳川領への舟渡し場屋」と呼ぶようになりました。屋」と称され、後に東古賀原一帯を「船小めるために設けられた小屋。通称「石船小久留米藩が護岸普請のために船五艘を納「船小屋」の地名は藩政時代に、この地に久留米藩の護岸普請「船小屋」名前の由来は船小屋温泉郷FUNAGOYA船小屋を訪れた文人夏目漱石と種田山頭火夏目漱石種田山頭火漱石が熊本の第五高等学校(明治20年設立、旧制高等学校)の教授として赴任したのが明治29年4月13放浪の俳人といわれた山頭火。昭和5年12月に船小屋を訪れ「雲の日。この年の9月に漱石は妻・鏡子を連れ、福岡にい如く行き風の如く歩み水の如た妻の叔父である中根与吉のもとを訪れたそうです。この時、約一週間ほど福岡をめぐる汽車旅行をしました。香椎宮・天拝山・太宰府天満宮・観世音寺・都府楼跡・二日市温泉・梅林寺・そして船小屋を訪れ、それく去る」など多くの句を詠みました。漱石、山頭火の歌碑、句碑は鉱泉場北側や市内樋口軒駐車場などに建てられています。ぞれの地で句を詠句。船小屋では「ひやひやと雲が来るなり温泉の二階」と句を詠みました。18