令和3年11月
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中尾克輝(古川小6年)日髙陽菜(羽犬塚中1年)日本から世界へ八月の新聞記事を読んで優秀作品に選ばれた4作品はこちら▼市平和事業実行委員会が、市内の小中学生を対象に平和に関する作文を募集したところ、588作品の応募がありました。その中から、小学生部門と中学生部門の最優秀作品品皆さん、目を閉じて戦争をしている様子を想像してみてください。僕は想像することができません。そんな僕でもわかることは、戦争は恐ろしく数十万人以上もの命をなくしてしまうということです。もし、僕が戦争をしている世界にいたら、小学生なのに戦争に加わらないといけなかったかもしれません。そして家族や友達を亡くしていたかもしれないのです。僕はそんな世界は望みません。戦争は、絶対にしてはいけないと思います。日本は多くの命が犠牲になって、平和が築かれた国だと思います。戦争が終わった後、日本が平和主義を掲げていなかったら、今もなお戦争を努力が無駄になってしまいます。だから僕たちのような未来をつくっていく人たちは、もう二度と戦争をしてはいけないと誓い行動することが大切だと思います。現在、日本には多くの外国人観光客が訪れたり、日本人は外国に旅行に行ったりと、外国とも楽しい関係を築くことができています。これは、命をかけて築いてくれた戦時中を生きた人たちが思っていた理想の世界なのかもしれません。ですが、今も戦争をしている国があります。僕は、そのような国を支えるために、外国と平和な関係を築けている日本だからできることがあると思っています。だから、武力を持たずに戦争を止めないといけないのです。その方法を考えるのは、この国にいる全員の人たちです。僕たち日本人から、平和な世界を創つっていけると思います。今年四月、戦時中、九州帝国大学(現九州大学)で行われた生体解剖事件に立ち合った医師の東野利夫さんが亡くなりました。東野さんが立ち合った事件とは一九四五年に九州帝国大学医学部で、アメリカ軍捕虜に対する生体解剖実験のことです。私はこの事件を新聞記事で知りました。事件を詳くしく知るためにインターネットで調べると残酷な実験の様子が記されていました。それは医師がしたとは思えないおそろしいものでした。 その内容とは、海水を人間の血管に注入する代用血液の実験でした。戦況が悪かった日本は本土での決戦になったとき、多くの負傷者がでることが予想され、そのために不足する血液の代用が必要でした。解剖されたのは大分県の山に墜落し、日本軍の捕虜となったアメリカ軍のB29の搭乗員の内生存していた八名でした。大分から九州帝国大学に運ばれた捕虜たちはけがの手当てをされるわけでもなく、「予防接種をしてやる」との言葉に騙だされ手術台に上がりました。医師は麻酔をかけると捕虜の血液をぬき、代わりに大学の近くの博多湾からくみあげた海水を薄めたものを捕虜に注入し、捕虜を死なせました。他にも肺や胃の切除、脳の手術などが行われ、捕虜八人の命がうばわれたそうです。 人の命を救うはずの医師がなぜこのようなことをしてしまったのだろう、強い志をもったはずの医師がそこに十五人もいたのに止められなかったのはなぜだろうと思いました。 私が知っている戦争は、小学校のとき平和学習で学んだり、修学旅行の長崎で見たり、聞いたりした武器を使って人が殺し合うものでした。しかし、この事件の戦争は、命を救うべき医療さえも人殺しに使われる、とてもおそろしいものでした。今、私が生きているこの時代の医師たちは新型コロナウイルスと必死に戦っているのに、全く違います。何が医師たちをそうさせたのか分からないでいると、東野さんの証言にこうありました。「医者が人命に関わる人体実験をしたことは悪いが、そこを間違わせるのが戦争であり、いかに戦争というものが人命を預かる人間でも、ここまで狂ったというか、そういうことが二度とあってはならないが、戦争時代にあったという事実、軍が良いと言ったからやったという言い訳はもう今後は二度とできない」私はこの事件と東野さんの言葉から、戦争は、強い志をもった人の心を狂わせ、してはいけないことをさせてしまうおそろしいものであることが分かりました。でも、人間は今も戦争をしています。それはなぜなのか、無くすためにはどうしたら良いのかを考えていきたいと思います。 29広報ちくご 令和3年11月号    ち  くまわ をを紹紹介介ししまますす((原原文文ののまままま掲掲載載)。)。    「「平平和和のの子子どどももたたちちかかららのの   一し度て戦いた争かをも起しこしれたまらせそんの。人もし達たの、も命うやメメッッセセーージジ」」

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