令和2年11月号
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広報ちくご 令和2年11月号23子どもたちからの 「平和の メッセージ」カが悪かったのかというとそうではない。日本もたくさんの被害をもたらし、原因を作った。そして、「争い」というのが生まれたのは大昔だ。大昔から幾度となく争いをくり返し、最終的には原爆という恐ろしいものまで生み出した私たち。人類は何も進歩していない。 今もどこかで戦争は起きている。日本は平和な国と言われているが、世界は平和だと言えるのか。なぜ戦争はなくならないのか。一方的な見方で相手のせいにするという心からどんどん大きな戦争に発展したのではないだろうか。私もそうだった。一方的な見方で原爆を落下したアメリカだけが悪いと思っていた。私たちも同じように日常的にこうして争いが起きているのだと思う。 被爆七十五年を迎えた今も核兵器は存在し、国どうしの争いや問題はあとを絶たない。世界が平和であるためには、まず身の回りを見直してほしい。未来を担う私たちが、一方的な見方で誰かのせいにし、相手の気持ちも考えられないようでは何も進歩しない。大昔から変わらないままだ。一人一人が変われば世界も変わるのではないだろうか。強くなるために戦争が行われてしまったからです。そして、今、黒人の人に対する差別、新型コロナウイルスによって、いろいろな人が差別を受け、偏見で判断されています。私は、七十五年前の戦争や今のコロナウイルスなどの差別や偏見がなくなって、本当に平和な世の中や世界になってほしいです。 あの日、あの瞬間、何もかもが失われた。家、自然、人々の笑顔、日常、尊い命。たった一つの原子爆弾によって広島・長崎は別世界となった。 長崎の原爆資料館に行ったとき、私は言葉が出なかった。これが現実だったのだろうかと。目の前で何人もの人が死んでいき、地獄のような世界にもし、自分がいたらと考えると頭が真っ白になった。私は今まで、アメリカはなぜこんなことをしたのか許せなかった。全てはアメリカのせいなのか。そこで、クラスで歴史上の出来事から考えてみた。 まず、太平洋戦争は日本軍がアメリカの真珠湾へ攻撃したことで始まった。「なぜ攻撃したのか」などさかのぼると、日露戦争・日清戦争。またさかのぼると大政奉還や鎖国、さらに武士や貴族の世の中。最終的には弥生時代までつながっていることが分かった。アメリみます。七十五年前は、どうだったのでしょう。 七十五年前の日本では、十五年に渡る長い戦争が起こりました。八月六日に広島、八月九日に長崎に原子爆弾が投下され、沖縄にアメリカ軍が上陸し、住民を巻き込んだ激しい戦闘が行われました。そして、多くの人の命が奪われました。戦争があったことで、焼しょう夷い弾が雨のように降り続け、原子爆弾による影響は、熱線と爆風で建物は崩れ、人々は体を焼かれたそうです。 戦争が行われると人々の暮らしは一変していきます。食料が不足していったり、小・中学生が戦争に備えて訓練をしたり、女子学生が工場で働いたりと、苦しい生活になっていきました。 一方で、日本もアジアをはじめとする多くの外国に大きな損害を与え、多くの人々が亡くなりました。第二次世界大戦では、世界で五千万人、アジアだけでも二千万人の人が亡くなりました。今は、核兵器の被害を受けたただ一つの国である日本は、「核兵器をもたない、つくらない、もちこませない」という非核三原則をかかげたり、原水爆禁止大会を開いたりして、平和について呼びかけています。 私は、将来、みんなが平等な立場で、助け合い、差別のない世界になってほしいです。なぜなら、七十五年前の戦争で、日本は領土を大きくするため、 市平和事業実行委員会が、市内の小中学生を対象に平和に関する作文を募集したところ、199作品の応募がありました。その中から、小学生部門と中学生部門の最優秀作品を紹介します(原文のまま掲載)。 私は、今の世界は、平和ではないと思います。なぜなら、コロナウイルスが流行して「東京で流行しているから来ないで」や、医療関係等で働いている人などに対して、偏見で判断したり、差別したりするからです。他の国でも、戦争やデモ、差別などが起こっています。 ここで、日本の昔のことを考えて平和な世界へ小村美涼さん(西牟田小6年生)世界平和への進歩井上心晴さん(筑後中1年生)優秀作品に選ばれた4作品はこちら▼
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